十勝バス株式会社 代表取締役社長
野村 文吾 先生
ファーストコンタクトから厳(いか)つい風貌(失礼!) と柔らかな物腰の、独特無二な雰囲気を醸し出している野村先生。このオーラはどこから出て来るものなのか?
とてもそれが知りたくて、今回の講義の席に威儀をただして着座しました。そしていざお話が始まってみると・・・うーむ、なるほど波乱万丈!運命の導き?
いやこれはすごい。言うならば「高エネルギーの渦巻き」のような存在感。
果たして文章で伝えられるのか?!
いま起こっていること、これまでの道のり
「心と心を通わせる」「人は波を出している」こんな言葉から講義は始まった。
野村さんの十勝バスは主たるバス事業の他に、予約制のジャンボハイヤー事業にも取り組んでいる。いまこの時点で起こっていることを見据え「将来はどうなるのか?」「今からできることは何か?」を必死で考え続けてきた。これからの介護の時代に備える。子どもを大事にする。便利さを追求する。良い品質の食を提供することも大事だ・・。奇を衒った新しいことを探すのではない。人は一人一人「波」を出している。その波長に合わせていくことで、大事なことが新しく見えてくる。
1998年に家業の「十勝バス」に入社した。元々はテニスの北海道チャンピオンで、ずっとプロテニスプレイヤーにもなりたかった。そうしているうちに社会人となり、まず西武グループのコクド(旧 国土計画)に入社、企画宣伝の仕事をしていたが帰省のたびに親元の十勝バスの経営状態が悪化していることに気づく。
お金に羽が生えて飛び去っていく夢を見てしまった時に「今までテニスという夢に向かうためにたくさんのお金を使わせてもらった自分」に気づいた。両親がくれたお金?でもその元は乗客・市民がバスに乗ってくれた運賃が回り回って自分の夢を支えてくれたんじゃないか・・・。自分はそれに恩返しできるのか?
どん底からの気付き〜「社員を愛する」
家業に戻りたい、と伝えたら父に厳しく叱られた。
「今まで好き勝手やってきて何をいうか!?」「全責任を取るからやらせて欲しい」「・・当たり前だ!!」
しばらく時が経ち35歳のある日父に呼び出された。何か帝王学、でも伝えてくれるのだろうか?
行ってみると「お前が全責任取れよ!」と実印と金庫の鍵を手渡された。
ただそれだけ。父は翌日から会社に来なくなった。何も教えてもらえなかった。もう社員に直接、一つずつ教えてもらうしか方法が無い。
ところが社員に何を聞いても話しても「嫌です」「できません」「無理です」とネガティブな言葉ばかりしか出て来ない。
テニスで鍛えた(?)スポ根とスパルタ指導で臨んだが、どんどん社員が反発していく。密告でも入ったのか、探偵や公安警察が身辺を嗅ぎ回るような有様だった。
半年もしないうちに心が折れた。出てくるのは諦めの言葉と愚痴ばかり。奥さんから叱咤激励をしてもらうがそれでもダメだった。酒に逃避しどんどん喧嘩腰になる日々の中、久々に地元の同級生に再会した。
「会社、潰れる寸前なんだろう?お前は器が小さい、会社は社長の器以上には大きくなれないんだよ。」と厳しく諭され、経営者のための勉強会を紹介してもらった。
そこである先輩社長とご縁が出来た。「君は社員を大切に思ってないから全てがダメになるんだよ。」と言われたが素直に聞けず「もういいよ、言わないでくれ!」と跳ねつけた。「どうしたら俺のいうことをお前は聞いてくれるんだ?」
「・・土下座したら聞いてやるよ!」先輩に向かい失礼極まる暴言を吐いた。
「男に二言は無いな。」「・・ああ!」
次の瞬間、先輩は深々と膝を折り「頼む、この通りだ」と土下座をしてくれた。
飛び寄って「わかりました!」と頭を下げた。なぜこの人は赤の他人の俺にそこまでしてくれたのか?
この日から、何かが自分の中で変わった。
先輩社長は「お前のことが心から心配、それだけなんだ」と言ってくれた。それこそが社員への愛、じゃないのか?
貸し借り無し、ヤルと言ったら約束は守ります。その気持ちで翌日、社員の前で自分なりに宣言をした。先輩の「本気」を見せられたから・・自分も部下に「自分の本気」を見せなければ伝わらない。
その後すぐに、社員・部下の間に変化が現れ始めた。
40年ぶりの利用者増加〜「不安の解消」と目的地の明確化
勉強会の講師に「経営の世界で重要なのは、受容力をアップさせるということだよ」と教えてもらった。部下の個性を知り認める、それはすなわち部下の持つ強みを生かすことである。相手を変え動かすには、自分が変わり成長するしかない。
2008年に大幅な燃料費の高騰に見舞われた。ただでさえ経営は厳しかったが、何しろ今まで誰も「営業活動」をしたことが無い、という社員ばかりでそれは禁句にすらなっていた。
しかし社長就任後10年間言い続けたことがこの時小さく芽吹いた。
本社から中心市街地に向かう途中に社「西地区」というエリアがある。そこの路線に営業をかけてみないか?と部下に打診してみた。即座に「無理です!まあ出来て一つの停留所ですね。」と部下。
以前だったら即爆発していたかもしれない。しかし経営とは受容力のアップである。
「わかった、まず一つの停留所から始めよう。いい変化が出たら一つずつ増やしていこうよ」 「うーん、良くならなかったら辞めていいですか?」
「・・・いいよ。」
最初部下たちは対面の営業をせず、ポスティングだけしかしてこなかった。理由は「お客さん、市民が怖い」。
これまで会社は長い間、悪業績が続き退職者も多く運転者のマナーも非常に悪かった。会社には苦情が押し寄せ、ただ謝り続けることが日常化していたのだ。
そこで社長自ら現場に赴き社員と一緒に沿線の住民を一軒一軒訪問して歩いた。
そうすると意外にも7割の方々が扉を開けて話を聞いてくれた!我々を認知してくれていたのだ。
「どうしてバスに乗っていただけないのでしょうか?」とストレートに聞いてみた。
「うーん、どうしてかなあ?」「家のすぐ近くにバス停あるんだけど、どこに向かって行ってんだかわかんないから・・」「料金もよくわからない。ていうか入口って前だっけ後ろだっけ?」と住民の方。
てっきり「不便だから乗ってくれないのだ、だから便利にしなきゃ」と思い込んでいた。
でも実態はそれ以前の問題であった。
「不便だから乗らない」のではなく「不安だから乗れな」かったのだ。不安の解消のために、目的地を明確に示すこと。実地に動いてみた結果、ようやくここに辿り着けた。
この訪問活動が地元新聞にも取り上げられてしばらく経った頃、部下からの報告があった。「取り組んできたあの停留所のお客さんが増えてきています!」
人間の脳は思い描いたことしか達成出来ない。これまで40年間、社員たちはバスのお客さんを増やすことを無理だと思っていた。
この西地区の路線は一年間で20%の利用客増。続いて社員は奮起し他の三路線でも同様に取り組んだ。そして会社は40年ぶりに路線客の増加を達成した。
コロナ危機のあと、いま向かう未来
全国のバス事業者との連携の機運が高まってきていたが、最初国土交通省にはスルーされた。その際に前職時代携わっていた宣伝企画の経験から「メディア活用の重要性」に気付く。
地元新聞→日経ビジネス→NHK→再現ドラマ→アンビリーバボーへ。どんどん縁がつながり、出版、ミュージカル化まで実現出来た。特にミュージカル公演の際は以前の十勝バスの手法「一軒一軒回って買ってもらう」を実践し、気がついたら十勝市民全員が十勝バスの応援団になってくれていた。地元紙からの丁寧な一つずつの活動が最終的に数億円規模の価値を生み出したのだ。
この頃から、全国の事業者からの視察・評価・ヒアリングが集まり国土交通大臣賞を受賞することが出来た。原理原則通りに丁寧に取り組んでいけば必ず達成できる。
そこに、もしかするとうまくいかないかも?という曇りがあると達成へのスピードが上がらない。気づけば会社の中は、自発的な委員会活動が生まれ笑顔あふれる接客に満たされていた。会社全体が生まれ変わっていたのだ。
そして創業以来最大の危機「コロナ禍」に見舞われた。何しろ9割の人々が移動をしない。この10年のうちに3分の1の交通事業者が無くなるという予測がある。もしそうなると、「限界集落」と言われる過疎化地域への移動手段は断たれ、地域自体が消滅してしまう。街づくりと交通政策はひとつなのだ。
その中で出来ること、それは社員の人財育成だ。経営者こそ、教育者の役割を果たさなければならない。そのための3つのツールは「座学(講義)」「身体操作(体操)」「互師互弟(対話会)」だ。そこに与太話の入り込む隙は無い。
失敗から成功へ。マイナスからチャンスへ。陰極まれば陽、陽極まれば陰。全ては輪廻して回っていく。
だからコロナ禍のような「どマイナス」は「どチャンス」につながるのだ。しかし着眼点をしっかり持っていなければ実現はできない。なんでも悪いことをコロナのせい、にしてしまってないか?
人口減少は避けられず30年後には日本人口は9千万人まで減る。交通、宅配サービスを満足に行えられるのか?
そのためにIT技術やAIの活用は必須であるが、同じかまたはそれ以上に重要となるのが「アナログのつながり・強み」だ。
お客さま目線に立ち原理原則を徹底する。セグメントを深掘りしミクロの戦略をとる。
言うなればそれは「便利な昔に戻る(進んで行く)」ということだ。
全ての人の意識が変わるチャンスがいま訪れている・・・。
2005年に父が医療ミスが原因となり急逝した。自分には何も言ってくれなかった父だったが、母から生前の父の言葉を聞くことが出来た。
「アイツは一体俺から何を聞きたいと言うんだ?会社をダメにしてしまった男から学んだら、アイツまでダメになってしまうだろ・・・。」と。
父は自分を突き放したのだとばかり思っていた、けれど本当は息子である私のことを心から大事に想っていてくれたのだ。だから、成果を出している人からお前は学べ、と。
真の教育は教えるのではなく「自分で考えさせること」。
そのために自身を脇に置きチャンスを与えてくれた父。居なくなってしまってから判った「真の親の愛情」だった。心から尊敬している。
十勝でのミュージカル公演の千秋楽最終日、地元の高校生が「(自分が育ち住んでいる)十勝が誇らしかった」とインタビューに答えてくれた。「恩送り(おんくり)」と言う言葉がある。恩を与えて帰ってくる「恩返し」よりも、恩を無限に生み出し続ける「恩送り」。
その恩送りを皆さんにも大事にしていってもらいたい。
編集後記
野村先生の講義メモ量は普段の倍近い分量で、私の能力の限界から端的にまとめることが出来ず申し訳ありません。
現在先生は「中心道」と言う武道の正指導員でもいらっしゃるそうで、お話は実学からドラッカーマネジメント、最新の量子物理学まで広がり、武術・脳科学・宇宙物理学好きな私の興味とドンピシャ重なって本当に惹き込まれてしまいました。
これからの日本社会を共に作っていきたい、そういう勇気をもらえた今回の講義でした。
この記事を書いた「こうち仁淀ブルー熱中塾」メンバー
人生充実プランニング!
好きなものは楽しい仲間、美味しいお酒と素敵な音楽☆
ライフワークとして古武術ベースの身体操作術と、
また世界的ボードゲーム【バックギャモン】を戦略的思考を高めていくツールとして取り組んでいます。
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