【仁淀ブルー熱中塾】第4期生のお申し込みはこちらから

雨ニモマケズ

奥会津日本ミツバチの会会長
猪俣昭夫

仁淀ブルー熱中塾、第1期の最終回は、福島県は奥会津のマタギ、猪俣さんのお話。マタギといえば谷垣であり、二瓶(漫画『ゴールデンカムイ』のキャラクター)ですので、私の中の「マタギ」は、クマやオオカミと闘う、男のロマンな完全イメージ先行でした。それが、現役の!そして同郷の!(筆者も福島生まれ)マタギである猪俣さんは、すっと背が高く、とっても物腰柔らかな、優しい目をした方でした。しかして、その実体は!?

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初めまして。福島県、奥会津というかなり山の中から来ました。マタギをやっております、猪俣昭夫と申します。よろしくお願いします。

お断りをしておかなきゃなんないのは、普段、山の中に住んでいるんですが、山の中の、また山の中の方にばっかし行っていまして、大勢の人の前で話をするのが苦手です。だいぶ緊張して、口の中がカラカラになるぐらい緊張しています。その上、東北で言葉が訛っていて、聞き取れなかったり、マタギということで、訳のわかんない言葉を言ったりすることがあると思います。話の途中でも質問してもらって大丈夫ですので、よろしくお願いします。

目次

「マタギ」の由来

猪俣 昭夫

奥会津のマタギと名乗っています。先ほど、話したように、話が苦手ではあるんですが、実はマタギの人が考えている動物に対する考え方、見方、自然に対する考え方、命に対する考え方、今の時代、かなり貴重だと思っています。それで、マタギの人の考え方、山に入っていない人、都会に住んでいる人にも知ってもらいたい、ということで、こういう場に出てくるようになったわけです。最初から、かなり緊張しています。

まず、マタギ、カタカナの3文字なんですが、東北の方が主。それでも、マタギというのは、わかってる人でも動物を殺しまくってる人だとか、かなり曖昧なように、感じているぶんが多いと思います。

マタギの語源からお話しします。いろんな説があります。アイヌ語でマタンギ、猟をする人という意味、山をまたぐ人という意味、クマをとって生活する、クマの命をとる、また心を鬼にしてとる、色々とございます。そん中の一つに、マダハギ、が訛ってマタギになった、という説がある。このマタギの発祥の地と言われるのは秋田県の阿仁地方と言われている。
秋田県の方で、マダ、というのは、奥会津ではモワダ、という木の種類。普通に言うと、シナの木のこと。シナの木の皮を剥いで、前掛け、脛巾(はばき)と言う布を作っていた。マダハギが訛って、マタギになった。前掛けというのは、マタギが着物を来て、山に入っていたので、着物の前から、冬、雪が入ってくる。その時に、着物の下に、今、小さな子供さんがするような前掛け状の四角いものを着て、猟をする。そうすると、前から、雪が入ってこない。
脛巾は脛当て。山を歩いて、脛をぶつけて、痛い思いをする。それを防ぐために、脛巾というものを作って、足に当てる。そのマダの木が訛って、マタギという説があって、多分そうなのかな、と思う。シナの木、学名では、大葉菩提樹。何種類かあるけど、お釈迦様がインドで、菩提樹の下で瞑想をして、悟りを開いた。それはインド菩提樹。
大葉菩提樹とごく近い種類。be-palの滝田さんという作家に話したら、ちょっと種類が違うとクレームがついたけど、同じような種類の菩提樹(滝田誠一郎『奥会津最後のマタギ』ご参照)。山に入って、シナの木の下で瞑想をすることがある。が、未熟者なので、悟りが開けていません。四国の方にはシナのきが少ないとは思います。
寒い方に多くある木。その仲間。インドにはインド菩提樹と同様に、仲間があるので、機会があれば、シナの木の下で、瞑想して、悟りを開いてもらえれば、と思います。

福島県、ご存知ですか?原発事故で爆発したのが、画面で言うと右側にある大熊町。金山町は、新潟県との境にある。会津と言われるのは、ちょうど中心付近に、会津若松市がある。そこを中心とした地域を会津、と言うふうにいう。奥会津、会津の奥、新潟との県境。人口わずか1,800人ぐらいしかいない山の中でマタギをやっている。

このくらいの大きいクマだとすごい(スライド写真)。マタギの発祥、秋田の阿仁が発祥と言われている。秋田県の北半分の方。1,000年ぐらいの歴史があると言う風に言われている。なかなか、マタギの社会というのは、閉鎖的な社会だったので、あまり状況がよくわかっていないというところもあるようですが、阿仁のほうは、民俗学者が入って、いっぱい調査できている。
なんで、こんな福島県の山の中の方まで、マタギが入っているかと言いますと、阿仁の地方、いろんな集落でマタギをやっていたその集落で、やっていたマタギの人が、年寄りは地元の山でマタギをやって、若い人もいっぱい入っていた。その若い人がいく猟場がだんだんなくなってきた、秋田県から奥羽山脈を南下して、それぞれの地域でマタギをやりながら、クマを取って、クマの皮を売って、生計を立てていた。最南端は九州、四国でも海を渡って、江戸時代の終わり頃に来ているそうです。資料、見つかりにくいが、そういう記録も少しあるようです。

今、はっきりと記録が残っているのが、長野県の秋山郷と言うところ。秋山郷に、秋山マタギという人が今もいます。ただ、今現在は、阿仁も含めて、全国のマタギ、専門で生計を立てている人、残念ながら一人もいなくなった。兼業として、仕事をしながらのマタギがほとんど。秋山郷でも、兼業のマタギの人、いまだに健在。秋山郷、資料がはっきり残っている。
秋山郷まで、阿仁から120里、あったそうです。1里、4kmなので、480kmぐらいあったそうです。歩いて、30日、一ヶ月と10日かかったそうです。資料にはそう書いてあるそうですが、40日と書けばいい気がしますが、秋山郷まで歩いて行くのに、普通の東海道とか街道ではなく、奥羽山脈の山の中を歩いて移動しますので、草鞋が9足、必要だったそうです。
なんでそんなはっきりとした資料が残っているかと言うと、旅マタギをやっていた人が秋山郷で婿養子に入って、その家が代々、今も繋がっている。そこのお宅に資料として残っているそうです。秋山郷は、1,000年前にマタギが入ったわけではないが、江戸時代の終わりに、婿養子として入って、マタギと言うことで、山深いところなので、獲物になる熊とか鹿とか、いっぱいいたし、川にはイワナもいっぱいいて、消費するために旅館街もいっぱいあった。
いまだに秋山のマタギが繋がっているそうです。私が住んでいる金山町、三条と言う集落が金山町のかなり奥にあった。その集落は、全部の個数で11軒あった。全部の人がマタギとしてやってたそうです。

先ほども言ったように、マタギの集落、かなり閉鎖的な社会。金山町の三条集落にも民俗学者がどういう集落なのか調査に入ることができなくて、やっとこう調査に入れたのは、昭和50年。1975年。マタギの集落だと言うことがわかった。私が三条集落に行って、先代のマタギに教えを乞えるようになったのが、ちょうどその2年ぐらい前から教えてもらえるようになりました。

しかし、その頃になりますと、集落の人がかなり高齢になっていて、ほとんどの人が山に行けないような時が多くなっていた。でも、ある人は、病院に行って、体調を整えて、調子がよくなったから、山に来いよ、と呼んでくれて、一緒に山に行って、いろんなことを教えてもらった。またある人は、ここの山はこうなってて、ああいうところにクマがいる、こういうところにクマがいるということを教えてくれて、そういう状況が5年ぐらい続いた。

熊撃ちを始めて、追っかけ始めたんですが、クマの足跡を見ることはできるんですが、姿を、見ることもできないような状況が続きました。4年目、5年目ぐらいになってくると、だんだん、クマの姿が見られるようになりまして、最初にクマが獲れたのは、マタギの集落に行って、修行を始めてから、7年目になってしまいました。かなり、出来が悪い弟子だったようです。なかなか、クマというのは、動きも早いし、予想外の動きをしたり、見ることができても、獲ることができない、というような状況が続いていた。阿仁の旅マタギの人が三条集落に入ってきて、阿仁の人が、山では根本(こんぽん)の巻と言って、その昔、日光大権現様から、今でいう狩猟免許のような、日本全国でどこで狩猟をやってもいいという巻物をもらったそうです。旅マタギの人は、巻物を懐に入れて、日本全国を回っていたんですが、金山町にも巻物が3本ほどありますが、全て、阿仁の巻物の写。それが描かれたのが、明治の初め頃と民俗学者は言っている。

こんな感じで、金山町、面積はかなり広いんですが、96%ぐらいは山林。川沿いのわずかな平地のところに集落が点在している。雪が多くて、かなり大変。というところもあります。写真が下手くそでわかりにくいんですが、この木がモアダの木=シナの木。こんな感じの実がなります。大きい木で30m、直径50cmぐらいの太さになります。ぜひ、機会があったら、山に入って、こんな木を探してもらえるといいのかなっていう風に思います。

熊がむすぶ命

マタギ小屋でカンジキ作りより画像引用

この四国と九州は別なんですが、本州では、東北の方がほとんどではあるんですが、最近、クマの目撃情報、ものすごく多くなってきています。人的被害というやつも少しずつ増えているような状況になってきています。世間の普通の人の状況でいうと、クマは危ない動物だから、一匹残らず全部取ってしまえ、という風潮になっている感じがします。こんな状況だからこそ、余計、クマの重要性をもう一度認識してもらう、かなり大事な時期なのかな、と思っています。

その危ないクマというやつを、どういうふうに、私たちが接していくか。それはかなり難しいことだと思うんですが、その社会、地域の自然観の成熟度みたいなのを表すものかな、という風に感じています。私たち人間は、自然がないと生きていけない動物なんですが、その自然というやつをどういう風に感じているか、ということなんだと思います。

この四国では、今、クマが15頭から20頭ぐらいしかいない、という風に言われています。15-20頭、普通の動物の世界でこのくらいの数、もう絶滅したと言われているくらいの数になっています。実は、昨日、千葉の小島さんに、四国のツキノワグマのパンフレットをもらってきて頂きました。四国で出しているパンフレット。四国のクマをなんとか救いたい、ということで、こんな感じで活動している方が大勢いらっしゃいます。四国の自然を感じる目、というのはかなり高いのかな、という風に感じています。先ほど、ちょっとお話しした、クマの重要性というのですが、この日本にある森、林、山というやつは、クマとニホンミツバチが作ったもんだと、そして、維持してくれてるもんだと思っています。

今、ある自然というのは、もちろん私たちが作ったもんではなくて、先人の方達が代々、受け継いできたものを、今、私たちが受け継いで見ている、という状況だと思います。そんな中で、クマがいろんな木の実を食って、糞として、山にばら撒いています。そのいろんな木々の実の中に入っている種を、クマが、糞として、山にばら撒いていくことで、今までの植生を保ったり、新しい植生を作ってくれたりして、日本の森を維持してくれていると思っております。
山の木の実にはいろんなのがあるんですが、乾果(かんか)、乾いた実というのがあります。どんぐり、ブナの実、栗。大事なのは、液果(えきか)と言います、りんご、なし、みかん、外に果肉があって、中に小さい種が入っています。その種は齧らないで食べてしまって、糞として山にばら撒かれるということです。
昨日、この高知に着きまして、空港からこちらの方に向かっている時に、すごく綺麗、感動的だったんですが、山桜が点々と綺麗に咲いていまして。山が非常に綺麗だったんです。山桜というのはクマがそのさくらんぼを食べて、山中にばら撒いてくれて、その山の中で増えていく、広がっていくというような状況なんです。

東京農工大の小池先生という、かなり暇を持て余した先生がいらっしゃいまして。この先生は、1年中、山に入ってまして、クマの糞を集めています。小動物、テン、キツネ、タヌキのも集めている。糞を集めて、綺麗に水洗いして、その中から出てくる種を集めて、植生を調べてくれている。
2年ほどの調査で、93種類ほど、わかっているそうです。そん中で、1番は山桜。見たことありますか?山形県とかで作っているさくらんぼだと佐藤錦、粒が大きくて、すごくうまいんですが、山桜のさくらんぼはソメイヨシノのさくらんぼと同じぐらいの大きさ。このさくらんぼ、花が咲いて、開花から50日ぐらいで、種を蒔くと、ほぼ芽が出る。
1番いいのは54日から66日ぐらいの間が、木になっているさくらんぼの味が1番いい頃。67日目以降は地面に種が落ちてしまう。齧歯目がほとんど食ってしまう。
ヒメネズミ、アカネズミ、小さい山のネズミ。体が小さいので、種を砕いて食べてしまうので、撒いてくれる動物には入らない。熊が、落ちる前に実が熟した時に木に登って食べる。もちろん、他の小動物、テン、キツネ、タヌキも食べる。それらも、近隣に種を撒いてくれる。それ以外に鳥なんかもさくらんぼを食べて、種を撒いてくれる。
山桜一本に、300から500個のさくらんぼがなる。クマの場合だと、その7-8割を食べて、近隣の山に撒いてくれる。そうすると、山のあちこちで山桜が咲き始めて、素晴らしい綺麗な山を作ってくれる。

実は、昨日、越知に来て、もう一つ、感動することがあった。高知の仁淀ブルー熱中塾の若いスタッフの方々の目の輝きがものすごい。キラキラと輝いているんです。川のブルーと同じように、ものすごく輝いています。
実は、私たちマタギは、動物はもちろんだけど、山の草花、全部のものに命があると思っている。これらの生き物、動物なり、植物なりの命をとっていますので、命を見る機会が多くある。そうしますと、その動物の命を見ることによって、自分の命を見ることもできます。自分の命の価値というのは、どんな弱い面があって、強い面があって、というのがわかります。
自分自身が、ものすごい力を出すことができる。クマと目の前で会った時に、ものすごい恐怖心を感じます。随分長いことやっているが、今だに恐怖心を感じる。その時に、自分の命をものすごく強く感じることができます。
若いスタッフも、クマの穴に入るような経験をしてもらって、自分の強さとか弱さとかを、よく見ることができます。そうしますと、私たち人間の、すごく強い力を引き出すことができる。そんな感じがします。
先ほども、高知大学の方々の話の通りに、なんとかしようという気があったらば、かなり、強いことができると思いますんで、暇な時があったら、ぜひ、奥会津の方に来て、熊穴に一度、試しに入ってみたらどうでしょうか。
多分、違う人生みたいなものが見えるかもしれません。

クマが冬眠するときは、木の穴に入る。こんな小さな穴、直径30cmぐらいの穴に100kgぐらいのクマが冬眠することができる。人間は肩がつっかえるが、クマの前足とはつくりが違う。シカでもイノシシでも、関節で繋がっていない。筋肉だけで繋がっている。肋骨に前足の骨がべたっと筋肉でくっついて、そこから足が伸びている。ですので、頭の大きさが入るところだと、肩がないので、体が全部入る。クマ、水泳ぎもかなり上手。

崩れた生態系の象徴:鹿

尾瀬は国立公園になっていますんで、環境省の管轄です。尾瀬に行かれた方はいますか。行かれた当時、シカが入らないように、金網が回っている状況か、それ以前か。今は、尾瀬にシカがものすごくいっぱい入っています。元々は日光の男体山という山、国立公園で広がらずに生活していた。ある時から、いきなり、シカが増えていきました。それで増え方も尋常ではなくて、爆発的に増えました。
高知の方では、スタッドレスタイヤ履きますか。東北では雪が多く降るので、スタッドレス履きます。20-25年前までスパイクタイヤ。粉塵公害が出て禁止に。スタッドレスタイヤを履くようにとなったんですが、出た時点ではタイヤ性能が悪かったせいもあって、スリップ事故が多くあった。そんために、塩カル、塩化カルシウムを道路に巻いて、凍らないようにした。ニホンジカは、それを舐めることで、塩分を補給できるようになった。楽に。道路に出れば塩分が取れる。
出産能力がものすごく高くなった。それで日光のシカが爆発的に増えたので、尾瀬の方まで、広がっていった。尾瀬ヶ原の高山植物、湿地帯に生える草、柔らかくて、美味しいそうです。
ニッコウキスゲ、ほぼ全部、食われて、絶滅するか、と言われた時期もあった。そのために、国立公園なので、環境省が管轄で、尾瀬ヶ原全体にシカが入らないように柵を作った。人間用のゲートだけ。今、現在もそうなっている。日光国立公園も植生を保護するためにと言って、マイカーでの登山、公園に行けない。バスで走っている。関東圏の人が多く日光に行くので、関東圏の人が行くと、バスから降りると、大体の人が綺麗だと大喜びする。
というのは、日光も杉林が多くあるが、道路の側の杉林が草刈り機で手入れしたように、草丈が揃った草になっている。それは手入れのためではなくて、一種類の草しか生えていない。
シカが食べない草だけ。他はシカが全部食べてしまった。山全体に同じ草だけが残って、一見すると綺麗に見える。ところが、本来は、そんな山ではなくて、多様性に富んでいると言われる日本の山。背丈の違う、藪になっているのが本来。今はそんな状況。自然の「綺麗さ」というのも、ちょっと感覚的に違うものになって来ている。

蜂の叡智

ミツバチの話をどうしてもしないといけない。元・玉川大学の佐々木正己先生。名誉教授。その方が師匠。その方が、よく講演の中で、話をしていた。学会で、ミツバチの研究会の発表で、アメリカによく行っていたそうです。アメリカのシアトルに行ったときに、ハイウェイで街に行く途中の道路の脇が、手入れされているように草が綺麗に刈ってある。停車してもらって、草原を見た。そうしたら、一種類の草が生えているだけだった。高さが同じで綺麗に刈り取ったように見えた。この日本の植物は世界でも有数な多様性に富んでいる国だと言われている。その多様性を支えているのが、ニホンミツバチとクマだと思っている。

今日、ミツバチの花粉の団子を持ってきた。花粉症の人は控えてもらって、普通は大さじいっぱいぐらい、一回で食べるようになる。味見をしてください。

ミツバチの花粉の団子

画面で見ると、世界のミツバチの地図。日本が右端に出ている。北海道を除く日本全域から、パキスタンの西側までいる。右上、トウヨウミツバチ、と書いてある。このトウヨウミツバチの4種類の亜種の一つがニホンミツバチ。アピス・セラナ・ジャポニカ。世界のミツバチはここに8種類。このほかにもう一種、セイヨウミツバチが西側からアフリカ大陸にかけているだけ。世界中で5種類の蜜蜂しかいない。

ここに入っていないアメリカ大陸には蜜蜂いないのか。コロンブスが発見した当時はいなかった。ただ、最近、ここ1ヶ月ぐらい前、アメリカ大陸でミツバチの化石が発見された。かなり前の時期だと思うが、ミツバチはいたらしい。詳しい情報発信されていない。この当時、日本も北海道を除いた本州、四国も入っている。この中に、ニホンミツバチがいる。

ミツバチ、後ろ足に花粉の圧縮機がある。花粉を足にくっつけておくために、5倍ぐらいの太さの丈夫な毛が一本ずつある。足の関節で圧縮機の役割をして、花粉の中に自分が集めた蜂蜜を少しだけ入れて圧縮して、巣に持ち帰る。この花粉、植物の生殖作用、かなり栄養価が高くて、いろんなサプリより、花粉の方が体にいいのかもしれない。機会があったら、ぜひ、試してみられては、と思う。


かの有名なアインシュタイン博士の言葉で、世界中からミツバチがいなくなったら、4年後に食糧危機が来る、と言われている。ミツバチがいろんな植物の受粉をして、実をならせているから。アメリカは特にそう。畑の面積が日本とは桁違いに広い。そこにミツバチを大量に持っていて、木の実、植物の受粉をさせている。
そうしないと、農業ができない。日本の場合も、段々と少しずつ、そんな状況になってきた。高知では、イチゴも作ってますか。日本のイチゴ、普通のスーパーで売っているイチゴであれば、ほぼ100%がポリネーション、受粉して、イチゴの実を作っている。山形のさくらんぼも少しずつミツバチを使った方が効率がいいということで、そんな風に進んできている。日本の農業にも影響を与え始めて来ている。

(動画)ハチの動きが見にくい部分もあるんですが、これは、この巣箱に入ったハチではない。今、入ろうとしているハチの動き。ハチの群れは、高知だとあったかいので、もうすぐ来月の初め頃には始まると思うが、分蜂(ぶんぽう)、巣分かれをする。新しい群れを作る。
その時に、新しい巣を探しているハチがこのハチ。探索バチという名前。このハチは働きバチだけど、古い方のハチ。一つの群れで300-500匹の探索バチが新しい巣を探して、四方八方に飛んでいく。新しい巣が見つかったときに戻ってきて、探索バチが8の字ダンスと音で、その巣の、新しい巣を知らせる。アメリカの、ハチを研究している学者でトーマス・シーリーさんという方がいらっしゃる。
この方が離小島にハチを連れて行って、分蜂時の動きを調査。一元生民主主義という風に言われている。人間の場合も民主主義だが、議会制民主主義。賛成反対の意見を出して、最終的には多数決で決まって行く。ハチは、一元生の民主主義なので、賛成反対の意見が出るが、最終的には全員が賛成、ということで、新しい巣に移っていく。
ハチの場合も、人間の場合も最終目的は同じ。そうやって、生きるためにいい方向に行くにはどうしたらいいのか、とうことで意見を出し合って、最終的に良い方に決める。議会で、この街をどうしたらいい方向に持っていけるか、賛成反対という意見を言う。
それが、人間の場合は欲という余計なものがついているおかげで、たまに間違った方向に行く場合があるが、ミツバチは、100%間違えない。探索バチは働きバチの古いハチ、その中でも古いハチがいる。そのハチ、大きな声で意見を言わない。小さな声で短く意見をいう。若いハチは、大きな声で強く意見を言う。それが全員、そんな感じで、意見を出し合って、最終的に、こっちの巣に行くというのを決める。かなり、人間より、進歩しているんじゃないかと思っている。どんな感じでしょうか。

ニホンミツバチ、日本で記述として残っているのは日本書紀に出てくるのが1番最初。西暦640年前後ぐらいのもの。
エジプトのピラミッドの中からも、ミツバチが出て来ている。この絵は、インドのデカン高原で書いてある岩絵。1-1.5万年前に書かれた。縄梯子を使って崖を降りている。
カゴを持って、蜂の巣を入れている。学者が見ると、ヒマラヤオオミツバチと言うミツバチではないかと言われている。ヒマラヤの奥地の、崖の下に巣をぶら下げて、蜜を溜めて、子育てをするというハチ。日本ミツバチの3倍ぐらいの大きさでかなり凶暴。刺されるとかなり痛いそうです。それをハニーハンターが取って、こんな感じで、岩に絵が残っているそうです。

ハチの分布で言うと、トウヨウミツバチもその当時からいたものと思われます。1.5万年前、縄文時代から、ニホンミツバチがいたと思われている。

このニホンミツバチとクマが日本の森を作ってくれたと思っていると先ほど話をした。このニホンミツバチが飛び回って、草花の受粉を手伝って、できた実をクマが食べて、山中にばら撒いて、世界有数の多様性に富んだ、日本の森を作ってくれたと思っています。

自然のブナにできた引っ掻いたあと、クマの爪痕。自然のブナの木、直径が50cmだと100年ぐらいの樹齢。この木は1mちょっとあるので、200年ちょっと経っている。ブナ、長寿。平均寿命300年ぐらい。穴が空いていて、ミツバチがいる。まだ木も生きている。先っちょにぽちぽちついているのがブナの実。同時にミツバチも飼育。自然ってすごいですね。ミツバチの蜜を狙って、クマのプーさんが穴の所までは行っているけど、穴を開けられずに食べられないでいる、と言う状況。

地球温暖化と自然離れ

最近、温暖化という言葉をテレビでよく聞くと思う。奥会津では、まず水に変化が来ました。それ以前は、20-25年前、山に水を持っていく必要がなかった。のどが乾けば沢の水を飲めばいい。が、その頃から、腹が痛くなって、下痢になる人が多く出てきた。山に水を持っていかないとダメな時代になった。その頃から、ニホンジカ、イノシシ類が入ってきた時期と重なって来ている。
先代のマタギ、30年ぐらい前に亡くなった。それまで、奥会津、雪が多くて、イノシシとシカが入ってこないと言っていた。温暖化の影響で、ニホンジカとイノシシが入ってくるようになってしまった。水の他に雪、極端に変わった。それ以前、堅雪(かたゆき)、堅く締まった雪が本来の雪。ところが、今年も、雪は多かったけど、腐れ雪がほとんど。ざらめ状になった雪。堅雪もすぐ解ける。雪解けが早くて、一気に解けて、春水が多く出る時期。それから、寒(かん)のうちに雨が降るようになった。
1月の5-6日、小寒から1月いっぱい、2月の3-4日、節分までが寒のうち。1月いっぱい。その寒のうちに雨が降るほど、気温が高くなってしまった。そのせいで、堅雪も少なくなって、腐れ雪が多くなった気がする。ちょうどそのころに猟犬を飼っていた。疥癬という毛が抜ける病気になった。獣医に連れて行ったら、疥癬だと。実はセンコウダニと言うダニが毛穴に入って、それで掻いて、毛が抜ける。この疥癬、いろんな動物に入る。山のウサギ、ほとんど見られないぐらいに少なくなった。
学者に聞くと、捕食動物が増えたから、食われてしまったという人がほとんどだった。山に行くと、ウサギの足跡もないが、捕食動物の足跡も全然ない。とんでもないこと。かなり、状況がわからなかったが、センコウダニがウサギ、タヌキ、カモシカにも付いて、死んでいくのが多くなったと思っています。
先代のマタギ、7年に1度、ブナ、大量に実がなって、ネズミが大量に増えると言っていた。次の年から、捕食動物、てん、たぬき、狐が一緒に増えてくる。捕食動物が増えると、ネズミが食べられて、また少なくなって、すると、合わせて捕食動物も減る。7年に1度、大豊作、次の年は大凶作、次の年から30%、50%、次の7年目に大豊作、ネズミが爆発的に増える、そういう揺らぎがあった。最近、その揺らぎがなくなってしまった。
温暖化の影響ということで、今、地球が1.5度ほど、温度が上がっていて、2度になるとダメということで、カーボンゼロ。世界中が対応。今まで、あったまった分で、かなり悪い状況が広がっている。つい先日もロシアの永久凍土が溶けて、氷の中から、今まで、地球になかったウイルスが出てきた。今回もコロナでこの2年ほど、かなり多くの人が悩まされている。
それと同様な病気が今後、多く出てくる可能性があるんじゃないかとかなり危惧しているところ。同時に、今の世の中、かなり、暴力的になってきていると感じる。森林浴をやっている方がいたら笑われるかもしれないが、自然と接していない人ほど、気が荒ぶっているという感じがしてなりません。

この熱中小学校を立ち上げた堀田さん、横浜という大都会の真ん中に住んでいる。大都会に住んではいるが、私たちと同じような、マタギと同じような野生の勘、自然を見る目を持っている。都会のマタギだと言っている。今、山の人より、都会に住んでいる人が自然と接する機会が必要な時期だと思っている。
この熱中小学校、コンセプトは7歳の目でもう一度世界を、ということでやっています。7歳の目でもう一度、自然を見てください。今までと違った世界が見えてくると思います。今日は拙い話に長い時間、お付き合い頂きまして、本当にありがとうございました。

Q&A

塾生:世界中でミツバチが減った、見えなくなった、米欧でアレレと思っていた。殺虫剤が普通に使われている。始末と対策と、どういう風にお考えですか?
猪俣:世界中でCCD(Colony Collapse Disorder)、ミツバチ崩壊症候群ということが言われている。突然、いなくなって、大打撃。世界中のいろんな学者が研究しているが、ニコチノイド、ハチの近親交配、方向感覚の喪失、いろんなことが言われているが、はっきりした結論、出ていない。

セイヨウミツバチだけでなく、ニホンミツバチにも当たること。山の環境が悪くなって来ている。ほんの小さなダニだが、そのダニがニホンミツバチをかなり苦しめている。四国も福島も、かなり大変な状況。佐々木先生は、ハチにも耐性がついてきて、夏の時期だと一代のハチが一ヶ月で死んでしまう。世代交代が早い。
人間の1年で、ハチは5-6代変わる。それが早いので、ダニが出てきて、10年、50代ぐらい重なって来ているので、そろそろ耐性があるハチが出てきてもいい時間だとおっしゃっている。

ハチ自体がかなりそういう努力をして、打ち勝とうとしているが、人間が、自分の周りの環境を汚しているせいで、ハチの努力を台無しにしている。我々も自然に対するものの見方、もうちょっと前の、自然と一緒に生活をしていた頃の思いを持たないといけないのかな、という時代になってきたと思っている。
農薬もなるべく少なく、害のあるものをなるべく使わない、そんな感じでやっていけたらと思っております。
塾生:クマ、いきなり襲ってきますか?
猪俣:いろんな状況がある。カーブの向こうから鉢合わせ、となっても、普通は襲ってくるのは5m以内ぐらい。10mなら逃げていく。その5mぐらいでびっくりして、ぎゃーとかいう声を出すと、クマが驚いて、追いかけてくるということはある。

ですので、山菜採りに入ったり、きのこ採りに入ったら、一瞬、0.5秒ぐらい我慢すると、以降は我慢できる。最初の一瞬だけ我慢してもらえれば。そのままクマを睨んでもらうと、相手の強さを目の高さで判断する。

クマが四つん這い、立った時に、高いところにいたら、何もしなくても大丈夫。低い時は気をつける。逃げ方がある。いろんな木がある。細めの木の後ろ側に移動しながら、影に入るとほぼ大丈夫。山でクマに会うと、かなりびっくりする。熊撃ちをやっていてもビックりすることがある。

かなり強い動物なので。クマと競走したことがある。キノコ採りに、沢にいて、コラーと声をかけた。向かいの山を登っていった。5分後に自分が沢に降りて行って、クマのところを登って行ったら、1.5時間かかった。かなり強い。そのぐらい違いがある。
黒笹教頭:分蜂時、新しい巣を探す時に、専門の探索バチがいて、そこにはいるかどうかをミツバチ的民主主義、一元制民主主義。ベテランの探索バチが声が小さい、若いハチが声が大きいということだが、普通、声が大きい方が勝つ。どういうメカニズムで折り合いがついていますか?
猪俣:人間の世界だと、権力のある人が、大きい声で言うと、その人の言うことに決まりやすい。ハチの場合、権力があるのは古いハチ。でも、古いハチは死んでしまうので、大きな声を出さないで、若い人に任せようとする。若い人がダンスの時間が長い。大きな音を出す。まわりの働きバチ、影響されて、箱の大きさの巣、いい巣なのか、と見に行く。
黒笹教頭:年寄りが、若い人に決めさせる。
猪俣:人間にも必要なこと。最近、議員になり手がいない。全員協議会でやるしかない町村が出て来ている。それと同じような状況。
内田校長 :自然を守るためには、ある程度、手を加える必要。どういう風に守っているのか。
猪俣 :自然の山、林に手を入れないと言うのも大事なこと。でも、自然そのものの林だと、木が強すぎて、いろんな木の実がなったり、動物が棲むということが難しくなる。人間が入っても、何にもないと言う状況になって、木が強すぎる。その大自然の林に、ちょっとだけ、手を入れてやる。間伐など。ちょっとだけ。
新しい木を育てるために、ツルを切ってあげたり、ほんの少しの手を入れることによって、長い時間をかけて、いきなり変えようとしてもダメなんで、山を変えていく、自然を変えていく、そんな作り方が大事なんだと思う。
スギ林がダメで、皆伐して、新しい木を植えた方がいい、ということではない。スギ林、花粉症、材木の利用価値の低下と言われるが、一気にやるんではなく、少しずつ、本来あった、先ほどの話があった中内さんのように、今まであった、本来のその山にあった木を少しずつ植えていく、そんなようなやり方が1番いいかなと思っている。植林、生えていた木を、一本でも二本でも植える。
田中優子先生 :好きなはちみつの食べ方はありますか?
猪俣 :いろんな食べ方が好きだが、夏に冷たい水、はちみつ、冷たい水で溶けにくい。ぬるま湯ぐらいで、60度以下。天然の酵素が入っている。60-65度にすると酵素が死んでしまう。40-50度ぐらいのところに入れて、溶かして、冷たくする。熱中症対策にかなり効く。夏でも薪を切ったり、冬のストーブの薪を切って、かなり汗をかく、その時に、はちみつの入った冷たい水を飲むと、いきなり元気が出てくる。
塾生 :自然との遊び方、見る目を養う指標、楽しむ。どんな遊び
猪俣 :熱中小学校と同じ。まず、自分が楽しいな、と思えること、楽しいと思うことを山の中でやることがいい。好きなのは、リラックスできる長椅子を山に持っていって、雑木林で広げて、木漏れ日の中で昼寝をするのがものすごく楽しみ。かなり楽しい。ハンモックでもいいし。
塾生 :恐怖は命を強く感じるとき。自然と関わることは、恐怖を感じることと近い。人間の命を感じたり、心が動いたり。
猪俣 :クマの穴に入るのは極端だけど、日本、あまりにも平和な国。恐怖心を感じることもなく、一生を終えられるような時代。できれば、その恐怖心、度合いが色々ある。クマの穴に入るのは極端だけど、それ以外の恐怖心、バンジージャンプで、上から覗いて、おっかねーな、と思う恐怖心、そう言うのを感じることが、人間として、ものすごく大事なこと。それを感じると、自分の命を感じることができる。そうすると、自分の強さとか弱さとか、自分の程度がわかる。
今、多くの若い人が、本来はものすごい力を持っているんだけど、中途半端に、このぐらいしかないんだと、諦めてしまっている人が、ものすごく多い。ものすごくもったいないこと。自分の命を、力をめいっぱい出せるような状況にしてもらえたら、その人ももちろんだけど、周りの人もかなり幸せになれると思っている。若い人にはぜひ、恐怖心を味わって欲しいと思っている。
塾生 :人間のちっぽけさを自然の中で感じられる、今日の話で感じたことです。
猪俣 :仰る通り。自分を感じることができたら、それを広げていくことができれば、人生がますます楽しくなってくると思います。

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猪俣さん、マダの木、クマ、ミツバチ、塾生、スタッフ。存在もお話も、アナログに、連続的に繋がっているので、ご講演も漏れなく収録しました。

命のやりとりをしているのに、険がない。慾ハナク、決シテ瞋(イカ)ラズ、イツモシヅカニワラッテヰル。「自分の程度」に気付けるだけの感性、それを受け入れるだけの強さと潔さ。
その全ての存在に意味がある、役割があるということを、山の命の営みを通して肚で感得しているからこそ、自身のありのままに、他者のありのままに真っ直ぐに向き合える。サウイフモノニワタシモナリタイと思ったぶんです。

この記事を書いた「こうち仁淀ブルー熱中塾」メンバー

佐久間 ゆういちろう

宮崎駿チルドレンを自称する「森の人」志向インベスター

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