高知新聞社記者
八田 大輔
昨年9月、僕は高知新聞社宮田会長の講演記録の中でこんな風に書いている。
「高知新聞社には友人と呼べる記者が数人いる。彼らは(漫才コンビの千鳥風に言えば)「クセがつよ~い!」面々だ。」
そう。「クセがつよ~い面々」の中でニカッと笑いながらド~ンと真ん中に張り出してきている八田記者。これが僕の脳内イメージだ
常々、彼のことは「常識を持った変態(笑)」だと思って好意的に付き合ってきたのだが、そんな彼の講演はどうなんだろうと興味津々だった。
神奈川出身高知在住
神奈川県出身の44歳で旧鏡村在住。薪を調達し、アユ、アメゴ、ツガニ、ウナギをとる生活を楽しんでいる。
なぜ高知新聞に来たかと言えば、①釣りができる②酒が飲める③自由で緩い社風が理由だが、本当のところは中国で働いていた時にお世話になった、元高知県立坂本竜馬記念館長、元高知新聞社会部長の森健志郎さんとの出会いがきっかけだ。
新聞記者の仕事には、毎日のデイリー記事、防災案件などのローテーション記事やネタ探し・仕込みなどある。入社してからはいわゆる「遊軍」「何でも屋」が長く、2か月に1回くらいのコラムを担当しており、テーマは釣り・カツオ・川や森林などだった。
「高知(ここ)に住まう」では空き家問題や中山間での暮らしを特集した。
また、カツオ船に同乗して乗組員と10日間、一緒に船上での生活を共にした連載シリーズ「カツオと生きていく」を担当した。ある時、カツオの売値が暴落したことがあって1KG当たり単価を書いたら市場の人にすごく怒られた。獲る人、売る人の立場の違いによって難しい問題になることに気づいた。
「魚信」欄スタート
高知新聞ではこれまでも釣り情報欄はあった。これをさらに進め、釣果情報だけでなく、カラー写真(スケールの大きいアカメの写真から子供のサビキ釣りの獲物まで多様な魚の釣果)、読者からの投稿記事、エッセイ、料理などひとひねりした項目を加えて、くすっと笑っていただける内容にリニューアルした。
釣りとは、家族で楽しむ、家族をつなぐ、自然と人を「ぜいたく」につなぐ、自分だけの映画のようなものだ。(ちなみに私事で恐縮だが、息子が大きなキスを釣った時の写真も八田記者に魚信欄の記事として使ってもらったことがあり、それは大切な家族の思い出になっている。)
シラスウナギと地方紙
取材期間が5,6年かかった、2021年のシラスウナギの光と闇についての連載「追跡・白いダイヤ」
シラスウナギの闇を追う【寄稿】 新聞協会賞「連載企画『追跡・白いダイヤ~高知の現場から~』」受賞報告 |取材を振り返る〖寄稿〗|ジャーナリズムの力|日本新聞協会 (pressnet.or.jp)
この企画では社内で「台湾がキーになる。」とのことだった。その際に「そういえば八田は中国語ができる」と取材班に組み込まれた。取材先よりも上司のほうが怖かったなぁ。(笑)
(台湾取材は新型コロナの影響で実現しませんでした。)
地方紙の取材記事では①「書くべきことは書く」②「普段のお付き合い」、この①と②とのせめぎあいになることがあって苦労するところなのだが、これからも、「中央」の「大新聞」の模倣をすることなく、「どローカル」で「地方生活を満喫する」「地域のプレーヤー」として「なんがために生まれたるか」を考えながらやっていきたい。
編集後記
明治37年、高知新聞創刊号には以下の「発行の趣旨」が載っている。
「高知新聞生まる、何んがために生まれたるか、時代の要求に伴うて、我が県民と相携え、共に共に新天地を拓開せんとして呱々の声を揚げたるなり」
いいねぇ、八田記者。秋にはヘラブナ行くぜ。釣りをするために生まれたんだろ。
この記事を書いた「こうち仁淀ブルー熱中塾」メンバー
会議の設計施工管理屋を自称する高知県庁の土木技術者。マイボートで釣りをしながら、友だちといじりいじられる時間が至福です。
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