【仁淀ブルー熱中塾】第4期生のお申し込みはこちらから

塩づくりと町づくりは似ている〜ド変態なふたりトーク〜

田野屋塩二郎先生(製塩家)
×
堀見和道先生(前佐川町長)

目次

自己紹介(塩二郎先生)

東京から高知に来て、塩を作っている人間。生まれは東京都。現在51歳。

自己紹介(堀見先生)

一年半前まで、佐川町長をしていた。今は高知大学で仕事をしながら、地元の企業や自治体のアドバイザーをしたり、専門学校で地方自治、役場の仕事について話をする、などの仕事をしている。

トークタイム

堀見:私は自分のことを変態、変わり者だと思っている。塩二郎先生も同じ(笑)。出会いは、私が町長になった時。大阪での移住イベントで出会った。

塩二郎:高知県の主催のイベントだった。移住体験を話すために仕事で参加していた。私が話すのは、移住はやめておきなさい、ということ。実際に移住をしてみて、都会の人間が地方に来て生活するのは難しいと感じる。まず、何かを始めようと思った時に、移住者には融資がおりにくい。自治体は移住希望者を騙して移住させているのでは?という疑問も持っていた。

 そのイベントで、偶然話しかけたのが、隣にいる佐川町長の堀見さんだった。他の自治体は担当者だけが来ているのに、佐川町は町長自らイベントに参加していた。

堀見:移住のイベントで、移住はやめておいた方がいい、という人がいて「えーっ」と思った。なんでそんな面白いことを言う人がいるんだろうと思った。

塩二郎:いっときの気の迷いや貯金がなく移住をするのはやめておけ、と言う意味、もう一度考え直したら?という意味で移住希望者と話をした。やっぱりお金がないと移住は成功しないと思う。

堀見:そのイベントで塩二郎と意気投合し、今度塩づくりの現場を見せて、と言うことから繋がりが始まった。

塩二郎:堀見さん、まず頭がいい。東大卒。この脳みそを自分の町にも使わせて欲しいと思った。その後、実際に堀見さんに来てもらって田野町の町長とも話をしてもらった。

堀見:塩二郎には、佐川町にも来てもらった。私の自宅に何度も泊まってもらった(笑)。私にとっては弟のような存在。

塩二郎:堀見さんには、出会った頃から変わっているなー、と言う印象を持っていた。

堀見:私は田野屋先生を藤井聡太くん、大谷翔平くんと同じ部類の人間だと思っている。これだ、と決めたらとことん打ち込む、やり抜く。そんな生き方をしていると感じる。高校生の時はどんな子だった?

塩二郎:高校大学はラグビー一筋。高校生の時にテレビでスクールウォーズというドラマをやっていた。あ、僕もラグビーやらなきゃ、と思った。花園に行って日本一になりたいと思った。でも自分の行っていた高校にはラグビー部がなかった。だから東京にあったラグビー日本一の高校に、リーゼント決めて土下座しに行った(笑)。グランドで3時間くらい正座をしながらラグビー部の練習を見ていた。練習の真剣さに圧倒された。

 そうしているうちにチームの監督が来て、帰れと追い返された。それでも帰らず、夜10時までグランドで正座した。話だけでも聞いてもらおうと思った。そうしたら、翌日からラグビー部で練習できるようになった。なぜか転校という手続きになっていた。それが大東文化大学第一高校。そこからラグビー漬けの毎日が始まった。怪我なんてしようものならすぐに2軍、3軍に落とされてしまう。だから怪我したことは言わずに練習したり。走行して、花園には2回行くことができた。残念ながら日本一にはなれなかったけど。

堀見:日本一になりたいという思いはいつから?

塩二郎:それは子供の頃から。なんでも2番はビリと同じだと思っている。ラグビーにしても塩にしても同じ。

堀見:私と似ているかも。私は男三兄弟。末っ子だったので、兄二人を見ながら日本一になりたいと思っていた。世界一になろうとは思っていなかった。田野屋先生は世界一になった。

塩二郎:塩の世界コンテストに出た時に、審査員満場一致で自分の塩が一番美味しいと言ってくれた。やることはやっていたので、取れるな、とは思っていた。だからコンテストにも行っていない。塩だけ送った。

堀見:生意気やね(笑)。

塩二郎:カリウムを何%結晶化させる、ということなど、作業をかなり細分化していた。人間の血液、赤ちゃんが浮いている羊水に近い塩を作ろうと相当努力した。だから世界一は取れると思っていた。

堀見:そもそもなんで塩を作ろうと思った?しかもこの田舎の高知で。

塩二郎:単純に前の仕事に飽きちゃった(笑)。ラグビーの次はサーフィン、スノーボードで日本一になろうと思って、サーフショップの経営などをやっていた。でもある時、日本人の体では勝てない、と思った。日本人は体重が軽くて高く飛べなかった。それが34,5歳のとき。またゼロから何か始めようと思った。最終的に塩をつくるか、大間のマグロを釣るか、の2択になった。でも、マグロは、漁師の親戚でないとなれなかった。だから塩づくりに決めた。塩づくりで日本一は誰かと調べたら、高知県にいらした吉田さんという方に行き当たった。ここでもいきなり行って土下座。土下座って意外にパワーがある(笑)。最初は無視だった。その三日後にまた吉田さんを訪ねる。というのを4回くらい続けた。最終的には、先に住民票を四万十市に移し、アパートを借りて。この事実を持って吉田さんに直談判。そうしたらしぶしぶOKしてくれた。部屋の掃除、風呂掃除、薪集めから全部やりますから、と言ってOKを取り付けた。

 そこから塩漬けの生活が始まった。ラッキーなことに初日から塩を触らせてもらえた。朝3時に行って夕方まで塩と向き合った。夕方、仕事が終わったらトンネルを掘りにいく。

堀見:トンネル?

塩二郎:家に帰ってから、次の朝までの時間が嫌だった。変なことを考えてしまうから。東京の方が良かったかな、とか、俺何やってんだろう、みたいな。塩を作りながら、トンネルを掘る。寝るのは1時間。これを2年続けた。一年目で、塩づくりは完全に理解できたと感じた。塩が何考えているかがわかるようになってきた。かっこよくいうと、塩と会話ができるようになった。

 2年経った時に、師匠から、外に出ろ、独立しろと言われた。37歳。土地探しからスタートした。高知県内の海沿いの土地を片っ端から探した。西から攻めていって田野町でOKが出たから、田野町に決めた。田野町長に、ぜひここで日本一の塩を作ってくれ、と言われ、塩づくりがスタートした。ここで名前が「田野屋塩二郎」に決まった。そこから本名はほとんど出していない。本名は佐藤(笑)。

 そこからは自分が弟子を取って名前をつけるようになった。弟子は7人。見習いが2人くらいいる。

堀見:塩と一緒に寝ていたこともあるとか。

塩二郎:むつごろうさんに習って、1ヶ月くらい塩づくりをしているハウスの中で生活した。そうすると、夜にしかない匂いがあることや、発熱することがあることを知った。これが大きかった。塩が自分に気を許してくれたと感じた。今そんなことをする弟子はいないけど。一流の人は変な人が多い。イチローとかそうだと思う。全員に好かれようとはしない。だからこそ商売になったりするんだと思う。ちなみに、塩の作り方を文章にしてくれと言われることもあるが、できない。塩の目の前に座ってろ、しか言えない。

 作っている人が買い手を選ぶ。生産者が一番上にたたないとダメだと思う。自分の作った塩は娘のようなもの。どこに出すかは大事。

堀見:今まで売った中で一番高い塩は?

塩二郎:フランスから来たお客さんに売ったのが、1kg100万円。黒トリュフの風味の塩を作って欲しいと頼まれ、作った。自分のところで作っている一番安い塩でも、1kg1万円。パッケージはあえて黒にして中身が見えないようにしている。中身が見えなくても、売れる。試しにピンクのパッケージの塩も作ったが、それも売れた(笑)。

 海水は、例えば川の近くとそうでないところでは全く違う。でも、どんな海水でも塩二郎の塩にすることができる。この前は、新潟の海水で塩を作って欲しいと頼まれたが、自分が作るとどうしても塩二郎の味に寄って行ってしまう。そういう時は弟子に任せるようにしている。

 塩は料理の中でその本領を発揮する。だから、塩が使われる場面をイメージしながら作るようにしている。こんな塩を作って欲しいと頼みに来る人は、塩に合わせたい食材を持ってきたり、その場で料理を作ったり。

堀見:理屈抜きに、塩二郎の作った塩で食べる料理は、他のものと全く違う。すごいなあと思う。

町づくりと塩づくりは似ている。町づくりは、住民との対話から始まる。住民の声を聞くことから始まる。

塩二郎:自分は町づくりをしている実感はないが、町長の仕事と似ているところはあると思う。ちなみに、今、塩の予約が大体6000人待ち。待ってくれている人がそれだけいる。

堀見:我々根っこには愛があるよね。塩二郎も塩に対する愛が深いよね。

塩二郎:そうですねえ。今51歳だけど結婚はしていない。結婚したら塩に嫌われてしまうと思う(笑)。

堀見:やっぱり塩二郎は変態やね(笑)。

この記事を書いた「こうち仁淀ブルー熱中塾」メンバー

仲田 和生
仲田 和生

高知大学大学院生
釣り好き新人サウナー

この記事が気に入ったら
いいねしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URL Copied!
  • URL Copied!

コメント

コメントする

目次
閉じる