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小さな農家の生き残り戦略〜フルーツトマトでの挑戦

ファーム輝(かがやき)代表
麻岡哲也 先生

長身に黒縁メガネ、立派な口髭をたたえた麻岡さんは一見、アーティストか学者のような風貌。その麻岡さんがフルーツトマトを選んだ理由とその魅力。

「小さな農家」がいかにして「オンリーワン」になり生き残っていくのか?

優しい語り口でひとつひとつ教えてくださいます。

目次

トマトの歴史と生態

若い頃は法律家を目指していたのだが、父の経営する農場を継ぐためにUターンで実家へ戻ってきた。

現在は農場「ファーム輝」を妻と常勤3名、数名のパート従業員で切り盛りしており、早いもので今年25年目を迎える。農場では45aの農地とハウスが5棟、大玉のフルーツトマト、色彩豊かなミニトマト、中玉トマトなどを作っている。

トマトはもともと南米からヨーロッパへ伝来、そして日本に伝わったナス科の植物であり、当初は観賞用であったが明治大正期より洋食文化の影響でケチャップ、トマトソースから食用として日本人にも普及された。

トマトは「夏野菜」であるが夏には収穫せず2月〜4月がメインの時期となる。

もともとはアンデス高地原産であるが、日本では生産地の気候に合わせて西日本は「冬春トマト」、北海道は「夏秋トマト」で出荷されている。

フルーツトマトでの挑戦〜栽培と販売

フルーツトマトを選んだ理由は大きく三つ 【もともとトマトが好き】 【食べて下さる方に喜んでもらえる】、そして【フルーツトマト発祥の地は高知!】である。

もともと高知のトマトには定評があったが1970年の台風10号の際に河川氾濫で海水が混じった水が産地の徳谷地区に流れ込んだ。土壌に塩分が残ることで品質の低下が心配されたが、出来上がったのはミニサイズながら非常に高糖度で甘味のあるトマトであった。その「フルーツトマト」は1995年に東京の有名なイタリアンレストランで採用されたことから大きな反響を呼び、一気に知名度を上げることになった。

美味しいフルーツトマトを作るために「無農薬、またはできる限り農薬不使用」でやろうと決めた。それにはしっかりとした土づくりが欠かせない。土耕栽培にこだわり炭水化物をクエン酸・酢とともに液肥として流す。「防根透水シート」を使用し隔離土耕栽培をすることで糖度を上げる。また、美しい赤色を出すために日平均の積算温度を測っている。積算温度1,000~1,200度で80日くらいかけて緩やかに赤くなってくる。

農業を成功させるためには「栽培」と「販売」は車の両輪である。初期にはいろいろ失敗を経験したが、「取り返しのつかない大きな失敗」をしないように方法を考えた。

フルーツトマトという作物を選択したが最初は認知度も低く苦戦を強いられたことから、「顔の見える販売」を目指した。

最初はJA主体の取引であったが市場を東京へと拡大し、また友人知人など個人の販売も口コミで行った。地元の量販店でも名前を載せて販売してもらい徐々に評判も上がってきた。

それでも年々単価が下がってくるので創業から6年後、高級路線へのチェンジを考えた。高級量販店や大手百貨店など20〜30軒に営業をかけ顧客化に成功、収益が安定してきた。しかし次には、全国的なフルーツトマト生産量増加による価格低下の波が押し寄せてきた。次の一手をどうするのか?スケールメリットを活かすか?それとも他の品目にもトライしてみるのか?

ターニングポイント

 次の一手、を模索している中、取引先のバイヤーさんから「赤いミニトマト」の生産依頼を受けた。そこで操業9年目にして赤いミニトマトの生産を始めたが、また程なく他の色も含めた「カラフルミニトマト」の存在も知り、こちらも翌年から生産を開始した。

それからしばらくして世の中にSNS(Social Networking Service)が普及し始めた。

2011年に土佐文旦農家をやっている友人の白木さん(前回 熱中塾講師)から勧められ、手始めにFace Bookを登録した。そこから友達登録数が増え、メッセージのやりとり、いいね!をもらえる回数の増加とともにトマトの取引量自体も増えてきた。

「イノベーター理論」でも言われるように、新しい商品やサービスが世の中に浸透していく過程においては革新的な考え方を持ち、早い段階で参画していくことが重要である。最初期の「イノベーター」になるのは難しくとも次の「アーリーアダプター」で始めて、その次の「アーリーマジョリティ」までの段階で繋がっていかなければ、リードする立場にはなれない。同時期に始めた方々の中には飲食店経営者、元気な個人事業主、野菜ソムリエや各分野のパイオニアがたくさんいらっしゃり、そういった方々と「早い段階」で繋がれたのは大きなメリットとなった。

このSNSでの発信を上手く使いながらカラフルミニトマトの種類を40〜50種まで増やしつつ「フルーツトマトと、カラフルミニトマトを生産するファーム」としての認知を獲得できたことが取引量・取引先の拡大に繋がり、大きなターニングポイントとなった。

今後の展開と展望〜「機能検索」から「人検索」へ

 SNSの繋がりから生産拡大している中、同時期に「とまっくま」のキャラクターが誕生し、こちらもイベントなどでの認知度拡大によく貢献した。(前述の白木さんが先行してブンタンマンというキャラクターを発案しており、それをTTP = 徹底的にパクらせていただいた。笑)

拡大基調がしばらく続いたが突然、2020年に「コロナ禍」という試練が訪れた。

飲食店需要がほぼゼロ、百貨店も休業、大きく売上げがダウンしてしまった。

この危地をどう乗り越えていくか?

重要視したのは「応援してくれる個人客への販売を、これまで以上に大事にする」ということだった。中玉トマト品種「フルティカ」は水制限を適度にしており甘みがあるが、これを注力商品として地元量販店や産直コーナーなど、主に地元で応援してくれる層の強化に着手した。

コロナ前に比べ売上げは下がってしまったが何とか持ち堪えられたのは、先駆的に始めたSNSと、地元との繋がりのおかげである。

これらの経験を通じて、具体的に「販売チャネルを複数に分ける」「最大でも一つのチャネルに25%以上偏らない」ことが、リスクマネジメント上でも重要だと感じている。

今後の問題として2024年には流通制限が強化され、物流費が値上げ方向にあることが予想されている。それを踏まえて「県外への取引量は現状を維持」し、「県内の量販店や産直コーナーに注力」を進めていく。

特に大事にしたいのが「誰が生産しているトマトか?」を明らかにして使用・販売してくれている店舗との取引であり今後も強化していくし、個人のお客様への販売にも注力する。

インターネットも変化し「機能検索」から「人検索」に移り変わってきている。

【少々高価でも、ファーム輝のトマトを食べてみたい!】

リアルな場所に出向き人となりを知ってもらって、【麻岡さんの作るトマトなら、食べてみたい!】と思っていただけることを目指してこれからもトマトを届けていきます。

編集後記

実は筆者は2011年、FaceBookのオフ会で麻岡講師と出会っていたことが判明。

それから残念ながら、直接のつながりを持たせていただくことはほぼ無かったですが今回12年越しでコロナ禍も乗り越え、このような形でまたご一緒させていただく機会を持てたことにご縁を感じました。

この夏は特に美味しいトマトが食べられそうです。

この記事を書いた「こうち仁淀ブルー熱中塾」メンバー

下元 正人. MaXato

人生充実プランニング!
好きなものは楽しい仲間、美味しいお酒と素敵な音楽☆
ライフワークとして古武術ベースの身体操作術と、
また世界的ボードゲーム【バックギャモン】を戦略的思考を高めていくツールとして取り組んでいます。

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