南国中央病院院長
宮本 寛 先生
講演の後、宮本さんにご挨拶に伺ったところ、高校の1年後輩だったことがわかった。
僕は剣道部出身なので体育会系だ。昭和の体育会系では、先輩と後輩の間柄では部活と書いて「りふじん」と読む。今の時代ではこんなパワハラ的思考はだめであり、講師をしていただいた先生に対して大変に失礼なのだが・・・、本音を言えば「なんや、後輩かい!」(😀悪代官のような笑み)。
宮本さんのプロフィールはご自身のことがオープンマインドで書かれているし、講演タイトルも「医師が選ぶ楽な死に方」だから、少し変わったお医者様だなぁ、とは思っていたが、今になってみればこれは確かに我が母校が持つ風土だ。そうすると、これまで宮本さんもずいぶん損もしたんだろうなぁ。(笑)
さて、講義の内容。
この日初めて「人生会議」と言う言葉を知った。
これは、人生の最終段階での医療・ケアについて、本人・家族・医師の3者で、繰り返し話し合うことを意味し、これによって終末期における患者の希望が尊重され遺族の抑うつが減少することが明らかになっているとのこと。(日本医師会HP)
わが国では、本人の事前の意思表示や家族の意向が不明なこと、倫理観、民事訴訟の問題など様々の理由で、「人工的水分・栄養補給法を選択しないこと」がとても難しい状況にある。
しかし、東京大学特任教授の会田薫子氏の著書によれば、海外では食べ物をおいしく口から食べられなくなった場合には、
・「人工的栄養投与は、ほとんどの症例において患者のためにならない。死を間近にした患者は空腹やのどの渇きを覚えない(米国老年医学会)」
・「緩和医療の専門家によると、経管栄養法や輸液は害が多い。死が迫った高齢者への胃瘻造設は本人を苦しめる。(オーストラリア政府、高齢者介護施設における緩和医療ガイドライン)」
・「質の高い緩和ケアを実践するためには、患者に何らかの措置や治療を行った時の利益が不利益を上回らなければならない。(アルツハイマーズ オーストラリア)」といった考え方だそうだ。
そして、宮本さんはこんなことも教えてくれた。
「これまでの医療は、EBM(Evidence Based Medicine)つまり「根拠に基づく医療」で科学的根拠に基づいて治療法を選ぶやり方だ。ただし、これは統計論としての情報であるため、全ての患者に当てはまるかどうかはわからない。
一方、NBM(Narrative Based Medicine)と言うやり方が提唱されている。
ここでNarrativeとは物語と言う意味で、患者に対する医療は「家族との物語の中で語られるべき」であり、患者個人の抱える問題を身体的・心理的・社会的にとらえてアプローチする試みである」と。
人生会議とNBM(患者と家族との物語をベースに考える医療)。
共通しているのは「終末医療は生死だけじゃなく、患者の尊厳や家族の思いなども包括的に考えようよ」ということだろう。今までこういったことへの意識は強くなかったけれど、僕もそろそろお年頃だし、すごく大事なことに気づかせてもらった。
そうだ、今後、終末医療のことで悩んだら、宮本さんのところに行って「りふじん」なお願いをしよう。
この記事を書いた「こうち仁淀ブルー熱中塾」メンバー
会議の設計施工管理屋を自称する高知県庁の土木技術者。マイボートで釣りをしながら、友だちといじりいじられる時間が至福です。
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