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個ニシテ全、全ニシテ個「多摩川の中に私たちがあり。私たちの中に多摩川がある」

NHKエンタープライズ北海道支社ディレクター
田辺 陽一(たなべ よういち)

タイトルの前半は宮崎駿さんの漫画『風の谷のナウシカ』の王蟲の言葉、後半は、田辺先生の著書『アユ百万匹がかえってきた』の中の言葉です。なんだか似ているような・・・「根を持つことと翼を持つこと」とご自身の来し方を振り返られた田辺先生。それらを両立することとは??

今日は、自転車で高知市から。天気も良くて。仁淀川は2回目。すごくいい川。綺麗だし。前回は、水に入ったりもした。夏で。アユが大好きなので、黒笹さんに「高知行きたいよね」と唆されて、アユが見られると思って来た。12月で、ウェットスーツの用意をしてたけど、氷点下と聞いて、潜るのを諦めて、代わりに自転車を持ってきた。

 結果的には楽しかった。仁淀川を自転車で上がってきた。鏡川、枝川と移動して、伊野から仁淀川。風景だけでも楽しかった。北海道でありえないのは、川船。日本の川でこういうのはもう残ってない。嬉しい。こういうことだよ、文化ってと思う。

 伊野から上がってくる途中、崖の上の道路、川岸を走る。見下ろすと、いい淵が見える。潜りてー、降りたい!と思っていると、階段がついてる。これが仁淀川のすごさ。行きたいもん、みんな絶対。そんな思いで、今日、到着した。

目次

根を持つことと翼を持つこと

 真木悠介の『気流の鳴る音』(ちくま学芸文庫)の一節。かつて取材でお世話になった方から「読んでごらん」ということで、読んでみたがよくわからなかった。

書いてる日本語は簡単だけど、社会学的、哲学的な本。人間の根源的な欲求として、根を持ちたい、翼を持ちたい、両方ある。「根を持つ」は、わかりやすい。郷土、コミュニティ、家族と生きていく。身の回りの何かと繋がっている。

「翼を持つ」というのは、根を持つことのしがらみ。好むと好まざるとに関わらず。そこから解放されたい、自由になりたい、ということ。相矛盾する気持ちの中で、両立させられないのか。皆が等しく抱く思い。

太田川のキャラ変小学生~四国半周高校生

 生まれは神戸。6歳まで暮らした。小2で父の転勤で広島の市街地へ。小3でニュータウンの一軒家に移り住んだ。少年時代に転々としたことが、今振り返ると大きかった。転校するたびにキャラ変した。神戸では悪ガキ。幼稚園では、相棒と2人で、教室をひっくり返す、わんぱく坊主だった。

小2で広島で、ガラッと変わって、おとなしい子に。圧倒的な疎外感。神戸弁と広島弁。あかんわ。って言ったら、周りが、ドアか。と。いけんって言うんじゃ、と。それも方言だけど多勢に無勢。仕方ないから大人しくしてた。小3の時に、広島で家を買って、新興住宅地に。新しく山を造成したところで、空き地だらけ。そこの小学校では、全員外様。その頃には広島弁の基礎は身に付けていたので、萎縮しなくて良くなった。

また、キャラ変して、今度は学級委員をやったり、優等生キャラ。それから中高一貫の進学校に進んだら、みんな学級委員キャラで、今度は、目立たず、悪くもなく、中庸。友達もそこそこ。自分がぶれ続けた経験から、「根がないな」という感じがすごくあったんだろうなと今では思う。


 高3で、進路どうするか。成績は割と良かった。大学行くか、という感じ。でも、何もない。進学校で、勉強できるやつは医学部、法学部、そういうヒエラルキー。反発を感じた。何か勉強したいことがあるから行くのが大学。じゃ、自分がどうかというと何もない。唯一あったのは、家を出たい。翼を求めていた。しがらみっていうほどじゃないけど、ここではないどこかへ。迷いに迷って、周りは受験追い込みの夏休みに旅に出ることにした。初めての一人旅。要領はよくわかんないけど、父親が、昔、山をやっていたので、一番安いテントのようなものを買ってきて、移動の足の自転車も友達に借りて、寝袋を積んで。

 そうして行ったのが、四国。広島から、廿日市、宮島の対岸ぐらいから始まって、フェリーに乗って松山に着いて、左回りで大洲を通って、野宿も経験。公園にテントを張って。宇和島を通って、中村まで川沿いに降って。清流四万十川が台風直後で濁流。海沿いを走って、窪川を通って、岩本寺に泊まって。窪川でびっくりしたのが、中村から高知は、ずっと海沿いだと思ってた。でも、窪川までがすごい登り。四万十川の上流、山を越えたつもりでいたから、窪川には裏切られた(笑)


 須崎に向かって降っているときに、パンクした。自転車を押してたら、軽トラのおんちゃんが乗せてくれた。すごいいい思い出。高知、いいとこ。高知の人はいい人。高知市まで来て、泊まるところに困った。八十八カ所の、たぶん善楽寺に行って、寺の脇の公園にテントを張ってたら、お寺の奥さんがお風呂に入れてくれた。それもいい思い出。今朝、懐かしく思って行ってみたが、参道は覚えてるけど、泊まったところがわからない。どこかのお寺の奥さん。


 四国を一周するつもりでいた。けど、そこで、憑き物が落ちたみたいになった。悲壮な覚悟で出たけど、自転車を漕いでいると、進路のことなんて考えない。その日、泊まるところばっかり。でも、なんかスッキリして、高知市から北上した。四国半周で帰って、また人生に迷ったら、残り半周しよう、なんて小生意気なことを考えて広島に帰った。


 世の中、捨てたもんじゃねぇなと思った。家と学校しか知らなかった。高知の人もそうだけど、いろんなとこでいろんな人にお世話になった。世の中、そんなに悪いところじゃない。社会に対する肯定感が持てて良かった。フラフラすんのが好きだから、いろんな旅に出たけど、ヒマラヤ行こうが、北極行こうが、一番印象に残ってるのはこの時の旅。

心の平安大学生~名古屋デビュー

 憑き物は落ちたけど、将来のことは何も決まってない。でも、難しく考えるのをやめようとなって筑波大に進学した。大学に入ったら、楽しい。男声合唱団に入り、歌ばっかり歌っていた。やっと翼を持って、楽しくてしょうがない。困ったのは大学4年。やりたいことない。その頃、テレビで南極の映像をみて、単純にいいな、行ってみたいなと。このテレビを映した人になれば行ける。友達はみんな就活していた。冷めた目で見ながら、何もしない。でも一個ぐらいしてみてもいいかも、と思って受けたのがNHK。
 

最初に行ったのは名古屋。NHKは、1年目からディレクターをやらせる。失敗しながら覚えろと。番組なんてできないけど、周りに迷惑かけながらやる。面倒をみてくれた人が自然番組系だった。デスクもプロデューサーもどっちも自然系だったが、ディレクターには自然系がいなかったので、やってみる気ない?と言われて、始まった。藤前干潟とか、富士山の樹海、静岡の桶ケ谷沼。トンボがいっぱい。名古屋をベースに中部の自然番組。大変だということが、やり始めたらわかった。伝えたい、撮影したい、という動機がない。行くのは楽しいけど、パッと行って撮れるものだけじゃだめなので。でも、撮れない時は撮れない。それでも放送日は伸ばせない。納得行こうが行くまいが。苦しかった。基本スキルも全然ないし。今ならなんとかするけど、新人の時は難しい。いつも辞めたいと言っていた。向いてない、自然物のテレビなんて見てないし、自然なんて行ってみなければ仕方ないと思っていた。
 

 その頃、星野道夫さんが、アラスカでヒグマに食われて亡くなった。写真もいいけど、エッセーが素晴らしい。星野さんが、遠くの自然近くの自然、ということを言っていた。遠くの自然は、アラスカ。近くは、千葉、東京、都市の自然。両方大事。身近な自然、東京の満員電車に乗っていても、今、この瞬間、アラスカの海で鯨が跳ねていると思ったら、それだけで人生は豊か。一生、行かないかもしれない自然も大事。自然番組ってこれか、と思った。静岡の沼、ほとんど行く人いない。樹海もそう。でも、そこで、洞窟でコウモリが子育てをしていると知ってるだけで、人生豊かと思えるかもしれない。意味があると思えた。それで続けることにした。

多摩川リカバリー~石狩川ラン

 東京では、教育番組の班に。その時に会ったのが、中本賢さんという俳優さん。釣りバカ日誌や、鉄道員(ぽっぽや)など、名脇役。本業俳優だけど川フリークで、ずっと多摩川を調べ続けている。銚子川のゆらゆら帯のことも知っていた。当時、多摩川にアユが戻り始めていた時期。結構な数が見られていた。番組にしたいと言ったら「一年、一緒に見てくれ。それで面白いと思ったら番組にしてくれ」と。1年間、企画も書かずに。とにかく川を見ていた。

 一番強烈だったのは、東急東横線という大通勤ラッシュ線の鉄橋の真下に、海からきて最初の取水堰があって、それをマルタが超えていく。ウグイの仲間。マルタ3月、アユ4月。他にも、モズクガニ、テナガエビ、ウナギが上がってくる。多摩川という大都会の川でこんなにいる。賢さんがいるから見られた。

 ずっと撮りたかったのは産卵。多摩川、透明度が悪い。50cmぐらいしか見えない。暗めの時間に探し回ったけど、10月も、11月もダメ。12月の中旬、産卵期の最終盤のある日に、一人で潜ってみたら、目の前にものすごい数がいた。びっくりした。潜りながら泣いていた。賢さんに電話して、局の撮影部に頼み込んで、自分が多摩川でやたらとやっているのは撮影部のデスクも知っていた。それで産卵映像が撮れた。多摩川に鮎が戻ってきて、初めて撮れた産卵の映像。「地球!ふしぎ大自然」で取り上げることに。練馬に住んでたけど、川沿いに引っ越した。徒歩3分。会社にも行かずに川に通っていた。

 最後までわかんなかったのがアユの稚魚。すぐ生まれて、海に降る。春まで過ごして、川に戻る。ほっそい体で、透明で、探しにくい。ところが、水産試験場がその年からアユの稚魚の調査を開始していた。細かいネットで砕波帯に、プランクトンネットを張る。その調査に付いて行った。羽田空港のわき、お台場海浜公園、葛西臨海公園。結構な数が入った。透明だけど、よくみるとすごくきれい。賢さんも涙目。それが面白くて、番組に。水産試験場に「どうして調査を始めたのか?」と聞くと、多摩川の川沿いの住民の声で、アユの産卵を見たという声があった、と。実は、賢さんの観察記録を東京都、国交省に挙げていた。俺じゃん、と。みんなで大喜び。

 45分番組でも、詰め込める情報がすごく少ない。捨てるのがイヤで書いたのがこの『アユ百万匹がかえってきた』という本。調べたことを全部、伝えたい。会社に入った時にはそんな思いはなかったのに。本も書いたことないし。書いてから、色々、出版社を回ってみた。初めて、就職活動したみたいな感覚。それを黒笹さんが買ってくれた。

 この時初めて、根を見つけた気がした。身の回りのものを調べ尽くして、そこと関わりを持った。本に、こんな風に書いた。多摩川の水は都市の地上を地下を縦横無尽に流れ、洗濯機の中や、トイレの貯水槽、人間の体の内部を通り抜け、ふたたび川に戻ってくる。道行く人の体の一部は多摩川の水で形作られているし、この川の水の一部はかつて道行く人々の体の中を流れていた。多摩川の中に私たちがあり。私たちの中に多摩川がある。これが根っこだと思った。書いた時には意識していなかった。書いたときはなんとも思っていなかった。アユのことを伝えたいだけだった。黒笹さんが見出してくれた。でも、今読み返して、「根」だと。

 また異動。北海道。多摩川に根ができたのに。今思えば。多摩川の興奮、充実感が忘れられない。身の回りのことを調べ尽くす、ということをやりたくなった。それで作るようになったのが歴史ものや社会もの。

 「北海道古代ミステリー」古代史をやりたかった。調べるとすごい面白い。自然ばかりで歴史はやったことなかったけど、アイヌ、かつては元と戦争していた。サハリンで。なぜか。アイヌ、原始的な狩猟採集民族で、エコロジカルとだけ思ったら違う。交易民。毛皮、角などを、他のものと交換して暮らしている。鷲の羽が一級の工芸品。貴族が矢羽にしていた。オジロワシの矢羽がおしゃれだった。高値で流通。代わりに、米、漆器。オジロワシは北海道よりサハリンにいっぱいいる。アイヌから侵略した。オオワシ専門家を捕虜にして。困ったのがサハリンの人たち。元と朝貢関係にあったので泣きついた。元、サハリン興味ないし、アイヌもどうでもいいけど、やってきて戦争開始。13年ぐらい。勝敗つかずに終わった。子供たち、教科書では縄文、弥生、古墳時代、卑弥呼、聖徳太子といったことを学ぶが、北海道の歴史にない。縄文の次は、続縄文、擦文、その次は、一個挟んで、もう江戸時代。米もないし、中央と全然違う。でも北海道の子供達は全然知らない。違うと思った。それで擦文時代とかを取り上げた。

 「にもかかわらず歌う」最近のもの。去年、コロナで何もできなくなった。人に会えない。取材ができない。リモート、電話と言われる。知ってる人ならいいけど、初対面では成立しない。音楽療法士の中山さん。緩和ケア病棟。ALS患者のリクエストを聞いて演奏する。体は治せないけど、死の恐怖を取り除いたり。以前、ちょっと取材して知っていた。リモートでしゃーない、とコロナでもずっと活動継続。今やらないと。今こそ私が必要な時。それに胸を打たれて。重病患者のところに行くので、マスク、距離、撮影は大変だった。

 そんな感じ。北海道ベースで、自然からすごく広がった。根っこをもとう、身の回りのことを詳しく調ベようから始まって、歴史、社会、なんでも面白い。その感じ、根っこを持つ、ということだと、振り返ると思う。見知らぬ土地に住みたい、しがらみから逃れたいという衝動、弱まっている。今回、初めて真面目に考えた。昔はそうだったのに。『気流の鳴く音』を読み返した。

「根を持つことと翼を持つこと」をひとつのものとする道はある。それは全世界をふるさととすることだ。

 もともと、インディオの話。翼、物理的にどこかに行くことでなく、自分のコミュニティを鳥の目で見る。相対化する。それさえわかればいい。世界の全てを知らなくても、ここだけが全てではない、と思うこと。テレビ局での取材を通して、いろんな職種、価値観、歴史に触れて、今が全てじゃないとわかる。坊さんが修行に入って座禅を組むのも同じだという気がする。鳥の目。読み返して、そうかな、と。

梵我一如

 自らの生活フィールドを、率直な感性で、新鮮な目で見て楽しめるのは、その翼を羽ばたかせて辿り着いた人、場所ならではなのではないかと同じ移住民として思いました。

 多摩川とワタシ、アユとあなた、梵=宇宙と我=個の区別自体がそもそもないのだという真理、彼岸へ向かう儚い道程で、泣き笑い、飲んで食って、たまに叫んで、夢中になって、死ぬまで生きる、ウツクシイケダモノダモノ。

この記事を書いた「こうち仁淀ブルー熱中塾」メンバー

サクマユウイチロウ
佐久間 ゆういちろう

宮崎駿チルドレンを自称する「森の人」志向インベスター

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