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報道現場での経験と気づき-記者人生を振り返って-

NHK高知放送局長
正延知行 先生

目次

越知町での開催。らんまんの話を。

「らんまん」の放送決定は関係自治体の方々による懸命な誘致活動が実を結んだものだと思う。牧野富太郎先生のことは東京ではあまり知られていなかった。誘致活動当時は牧野博士よりもジョン万次郎の方が制作局の幹部には人気があった。

 大河ドラマ、朝ドラ。NHKには全国からものすごい数の要望が来る。その中で、牧野博士が目立つように誘致活動を行ってもらった。私としても継続して後押ししていたが、そうした中、ある日突然、私のところに東京から電話が来て、牧野博士が朝ドラになることが決まり、本当に嬉しかった。

NHK高知放送局について

昭和7年に四国で最初の放送局として開局。今まで高知に関する番組をいくつも放送してきた。特に、「土佐四万十川」(1983年)のNHK特集によって四万十川が一気に有名になり、最後の清流という言葉が代名詞となった。NHKスペシャルで取り上げた仁淀川も同様で仁淀ブルーという言葉が全国に知れ渡るようになった。そして来年は朝ドラ「らんまん」がスタートする。

 高知放送局としては現在、「南海トラフ地震対策」「局舎の立替」「地域放送への取組み」の三本柱を軸として運営を進めている。「地域放送への取組み」としては、民放とも協力しながら活動しているが、各社が協力して、というのは全国でも珍しい。

 ネットフリックス、アマゾンなどが台頭し、ネットの広告費がテレビを上回るようになった。テレビ業界全体としても知恵を出して新しい取組みを進めなければならない。

正延先生の来歴

両親が高知県の出身。子供のころ高知で過ごしたので高知には思い入れがある。就職活動をするときに受けたのが、NHKと新潮社だった。ニュースの生の現場を見てみたいという思いがあった。

新潮社。採用面接のとき、面接室のカーペットはふかふかだった。NHK。面接室のカーペットはペタペタだった。これをNHKの役員面接で話したら大うけ。NHKで仕事をすることになった。

 最初の赴任先は、当時事件が多かった大阪。大阪府警記者クラブで仕事をした。夜間早朝でも事件が起きたらすぐに家に電話がかかってくる。携帯も無い時代なので家の黒電話に。休日はいつでも仕事に出られるようにスーツを着て遊びに行っていたくらい。色々な世界を見た。

大阪で長く事件事故の現場を経験した後、東京に異動して政治部に配属になり、自民党や外務省を担当した。政治記者になると、有力政治家にピタッとくっついて情報を入手しなければならない。政治家の出張について行ったり、土日は地元に行ったり。休みはほとんどなかった。

思い出深いのが外務省担当時代。国連総会やサミット、六か国協議など出張に沢山行った中で特に印象的だったのが2000年に訪れた北朝鮮。常に監視役がついている。ホテルの部屋のありとあらゆるところに鏡(マジックミラーなのかどうか、、、)がついていた。各国のホテルに宿泊したが、あれだけ鏡がたくさんあったのは北朝鮮だけだった。その後もトルコ、旧ユーゴスラヴィア、様々取材を行った。尖閣諸島の上空にも行ったが、そこにはかつて人が使っていたであろう古ぼけた小屋が見えた。当時飼われていたヤギが野生化していた。

出張の時はずっと仕事をしているわけではない。空き時間もある。中国では兵馬俑を見たり、偽物ばかり売っているビルに行ってみたり、ハワイのホノルルでは二時間だけの海水浴に行ったりと、いくつかの思い出がある。

出張は基本的には民間機だが、総理大臣に同行するときは政府専用機。政府専用機の中での記者会見は大変だった。飛行機のエンジンの音で声があまり聞こえない。聞き漏らさないように必死だった。そうした中で、当時の小泉総理、安倍総理と一緒に写真が撮れたのは良い記念になっている。

各国を取材する中で耳にしたことで印象深いのは、途上国に行った時。「我々が食糧支援をしてほしいというと、欧米諸国は食料を届けて支援をしてくれる。一方日本は、作物の育て方を教えてくれる」と話していた。またどこかの国で大規模な災害が起きると、国連は加盟国に支援を要請するが、当時話を聞いた国連の職員は「欧米の国々はすぐに大きな額の支援を表明するが実際の支援は遅い。一方日本は表明するのが遅いが、支援すると決まれば翌日には国連の口座にお金が入っている」と言っていた。日本のやり方はまじめで、とても日本らしいなと思った。

外務省の取材ができてよかったことは、「知らないことをたくさん教えてもらえた」こと。面白かった。

基幹ニュースの編集責任者時代といままでを振り返って

編集責任者はスタジオではなく、副調整室でインカムを二つつけて指示を出す。王様のようで楽しかった(笑)。

若いころは、原稿は手書きで、目の前で上司に破られたりもした。失敗したこと、悔しかったことの方がよく覚えている。社会に出て仕事をするということは非常に厳しい世界に入ることだと思って、その分学生時代は遊んでやろうと思い、本当に遊びまわって過ごしていた。だから職場で厳しく叱られても、そういうものだと思えた。でも今の学生は真面目に学生生活を送っているし、会社に入っても真面目な人が多い。そんな若い世代が育っている日本。すごいと思う反面ちょっと心配にもなる。ご清聴ありがとうございました。

質問コーナー

(黒笹教頭) 報道の現場に出ていた若手時代と局長になった現在。違うところは?またネット時代にテレビ業界はどう対応する?

(正延先生)一番は上司がいないこと(笑)。

NHKは自分たちで作っている番組が比較的多いが、他社は外部のプロダクションに番組制作を任せているところが多い。最近、プロダクションは大きなネットメディアに抱き込まれ始めている。だからこそ、自分たちで作れる、制作力を高める必要があると感じている。

この記事を書いた「こうち仁淀ブルー熱中塾」メンバー

仲田 和生
仲田 和生

高知大学大学院生
釣り好き新人サウナー

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